SPECIAL INTERVIEW

1エアハイパーレスキュー(航空消防救助機動部隊)

AIR HYPER RESCUE

装備部 航空隊
平成8年入庁

30歳近くになってスタートしたレスキュー活動。

30歳近くになってスタートした
レスキュー活動。

振り返れば私はこの15年ほど、ほぼレスキュー隊で活動してきました。ハイパーレスキュー(消防救助機動部隊)にも2度所属し、2度目のときには東日本大震災に伴う災害支援派遣で福島第一原子力発電所へ行き、その後に異動した署でレスキュー隊長も経験、現在は東京消防庁で初めて結成されたエアハイパーレスキュー(航空消防救助機動部隊)において、救助・消火チームの隊長を務めています。 こう話すと最初からレスキューを目指して入庁したように思われるかもしれませんが、私が消防の仕事に関心を持ったきっかけは、学生時代に叔母が大きな事故に遭い、救急隊に大変お世話になったことでした。そのような経緯もあって、入庁時に漠然と思い描いていたのは救急隊員でした。しかし、最初に配属された署でポンプ隊員を務め始めた頃、災害現場でレスキュー隊の活動ぶりを見て心が動かされ、いつの間にかレスキュー隊員になることが自分の一番の目標になっていました。資格取得は1回目の挑戦で成し遂げたものの、所属署にレスキュー隊が置かれていなかったこともあり、希望が叶ったのは入庁から5年経った29歳の頃。若ければ19歳の隊員もいる中、私のレスキュー隊員としてのスタートは決して早くはありませんでした。

ハイパーレスキューで学んだ「社会復帰できる救出」。

ハイパーレスキューの一員になったのはそれから3年後で、正直に言えば通常のレスキュー隊でもう少し経験を積んでから、という気持ちもありました。隊の規模が大きく、救急救命士など様々な専門性を持った隊員が集まるハイパーレスキューでは、より高度な活動が求められます。経験の浅い自分にとっては先輩たちに追いつくのも難しい状況で色々と苦労もしましたが、チーム力を発揮することで生まれる圧倒的な救助力を実感したのは大きな成果でした。多様な専門性を持った隊員たちが日頃から訓練を重ね、信頼関係を築いているからこそ可能になる救助活動が多々あるのです。 また、ハイパーレスキューの隊員になって、あらためて知ったのが「社会復帰できる救出」でした。命を救うだけでなく、その後の人生も考えて救助にあたる。エアハイパーレスキューでも、その大切さは忘れません。

新たに発足したエアハイパーの一員に。

平成28年1月に発足したエアハイパーレスキューの隊員は庁内公募があり自分が培ってきた技術や知識、経験がより有効に活かせるのではないかと思い応募しました。私自身はレスキューやハイパーレスキューでの経験我あり、航空隊と連携した空からの救助活動にも何度か出場しました。その際、ヘリコプターでの救助活動の有用性を実感しており、これをより高度に発揮できる舞台としてエアハイパーレスキューに魅力を感じました。エアハイパーとは地上からの対応が難しかったり時間のかかる災害に、ヘリコプターならではの機動力を活かした救助・救急の専門部隊です。東京消防庁ではこれまでも空からの救助活動は行っていましたが、体制としては航空隊に所属する少数の隊員を核に、災害状況に合わせてハイパーレスキュー隊員の協力を得て対応するというものでした。その専門部隊ができるなら、より高度な活動が可能になるのは間違いなく、そこで自分の力を発揮し自らをもっと高めたいと考えました。 希望が叶ってエアハイパーレスキューの一員になると、救助・消火と救急の2チームのうち、救助・消火チームの隊長を務めることになりました。パイロットや整備士を含む大人数で災害現場に急行するエアハイパレスキューは、何かあればチーム全員の命を危険にさらすため、これまで以上に「安全」に配慮しなければなりません。一方、地上からのアプローチが難しい現場にいち早く入り、救助や情報収集ができるメリットは多く、第2陣、3陣として応援に駆けつける救助や消火部隊との連携も視野に入れ、エアハイパーレスキューのあるべき姿を考え、訓練を続けているところです。

東京消防庁で
働くことの意義

東京消防庁は、高層ビルが林立した大都市から山岳地帯、海、大島・八丈島といった島しょまで多様な地域を管轄し、多くの人たちの安全を支えていることに重要な存在意義があると思っています。数多くのレスキュー隊員を擁し、より高度な専門部隊としてハイパーレスキューや化学隊、そしてエアハイパーレスキューなどを持っているのも、管内で発生する災害が複雑かつ難易度が高いからで、消防官として自分を高める上でもこれ以上の場はありません。自分が思い描く目標を達成するためのチャンスが多いことも、東京消防庁で働く魅力だと思います。