SPECIAL INTERVIEW

2IRT(国際消防救助隊)

INTERNATIONAL RESCUE TROOPS

消防署 特別救助隊長
平成6年入庁

初めての救助出場で感じた「恐怖」。

今の私があるのも、最初に配属された署で出会ったある先輩のおかげだと思っています。私はレスキュー(特別救助隊員)になりたくて東京消防庁に入庁しました。その先輩は元レスキューで、私がレスキューを目指していると話すと、訓練や体力錬成を一緒に行ってくれ、視野が広がるからと夜間の大学に通うことも勧めてくれました。
そして入庁2年目に初めて受けた選抜試験で合格し、20歳でレスキュー隊の一員に加わることができました。憧れだったオレンジ服を着た感激と同時に、責務の大きさを再認識する中、最初に火災現場に出場した時のことは今も忘れません。手を伸ばすと指先が見えなくなるほど煙が充満する中、聞こえるのは吸気管からのシューシューという音と、物が燃えるメラメラという音だけ。突然明るくなったら猛烈な熱気に襲われ、心の底から恐怖を覚えました。経験を重ねると慣れも生まれるものですが、救助を求めている人はそうした恐怖に包まれていることは忘れないように心がけてきました。

平成23年、ニュージーランド地震の支援へ。

25歳で副隊長になり、一番員として現場の最前線に出るとともに、隊のとりまとめ役も担うことになりました。若くして重要な役割を任され苦労もしましたが、この頃、選抜試験合格後のレスキューを育てる研修の教官を務めることになったのが良い経験になりました。ベテラン教官の方たちから様々な話を聞き、自分が所属する隊の指揮や育成指導に役立てることができたのです。
その後、第三消防方面本部に異動してハイパーレスキュー(消防救助機動部隊)の隊員となり、この時にIRT(国際消防救助隊)に登録しました。IRTは海外で発生した大規模災害の救助支援に派遣される特別部隊で、日本各地の消防機関で構成されています。東京消防庁内では、ハイパーレスキュー隊員であることを条件に自主的に登録する形になっているのですが、人数の制限もあり私が登録したのは平成22年。そして半年後の23年3月、ニュージーランドでマグニチュード6.3の地震が発生し、現地に派遣されることになりました。

JAPAN隊の活動が現地に勇気を与える。

留学生を中心に多くの日本人も被災したニュージーランド地震では3次に渡ってIRTが派遣され、私が加わったのは3次隊でした。被害が特に大きかったCTVビルは1次、2次隊の活動により検索をほぼ終えており、私たちは他の倒壊危険建物での再検索および、博物館などからの財産の搬出を担いました。
出発前の結団式で、「難しい検索はおおむね終えており、3次隊は活動の余地が少ないかもしれない。しかしJAPANの文字を背負った隊員たちが救助活動を続けている姿を見るだけでも、現地の方たちに希望や勇気を与える」という話がありました。実際、帰国時の空港で現地の婦人などから「あなたたちの国も大変なのに、助けに来てくれてありがとう」と涙ながらにお礼を言われました。
実はその前日、日本で東日本大震災が発生していて、私も戻ると間もなく緊急消防援助隊の一員として被災地に向かいました。そこで、ニュージーランドを含め様々な国から救助隊員が集まっているのを目にして勇気をもらい、国際援助の価値、IRTの存在の大きさを改めて感じました。

東京消防庁で
働くことの意義

東京の都心部は過密化が進み、建物や施設の高層化・深層化が進んでいます。河川や山もあれば、都市ならではの複雑な災害もある。IRTのような国際援助で重要な役割を果たす機会も含め、色々な経験を積むチャンスに溢れているのが東京消防庁で働く意義・魅力だと思います。「絶対にレスキューになる」「レスキューとしてより多くの人を助けたい」。生半可ではなく、本当に強い気持ちを持たなければレスキューにはなれません。レスキューとして様々な体験をし、若い隊員を育ててきた私からの助言です。

◉IRT(国際消防救助隊)/海外で発生した大規模災害の救助支援に派遣される特別部隊。昭和61​(1986)​年、自治省消防庁(現総務省消防庁)が事務局となり、日本各地の消防機関が参加して発足した。英語の正式名称は“International Rescue Team of Japanese Fire Service”で、正式な略称は“IRT-JF”となる。実際の海外派遣時にはIRTの他、外務省や警察、海上保安庁、JICA、医療関係者、建築の専門家などからなる“チームJAPAN”の「国際緊急援助隊(JDR)」が編成され現地で活動を行う。